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朝から「?????」…という記事を見つけ、
読めば読むほど気持ちがイガイガしてきたのです。
(以前リンクを張った記事は掲載期間が過ぎてしまったようなので、
この件について発言している記事をリンクさせていただいています)
「宝塚に同性愛者が集まって
という議論が市民から出る」
…と、議員のひとりが発言なさったそうです。
でも…
「議論が市民から出る」、というのは
「すでに議論されている」という意味ではなく、
「今後議論されるかもしれない」
…という予測でしかありませんよね。
証拠も記録もない状況下で出てきた勝手な妄想を
公の場で発言していいものなんですかね、という疑問。
確かに
想定からくる発言、というものはあると思う。
でもそういうことは
根拠だったりソースだったりがある場合でしょう。
それを提示することもできずそのような発言をするということは
職務怠慢と言われても仕方がないような
お仕事の仕方ですよね。
そして「市民から(そういう議論が)出る(から自分は反対だ)」、
と言わんばかりに
あたかも自分は市民のことを第一に考えています、
みたいな言い回しですが…違うよね。
自分の言いたいことを
市民を盾にして都合のいいように表現し直しただけだよね。
HIVは同性異性関係なく感染するものであり、
同性愛者に限定した発言、これは差別的なものだと感じました。
「女子校や男子校などでは同性カップルが多い。
環境によって後天的に同性愛者になる。
学校での児童生徒への啓発活動が同性愛を誘発する可能性を否定できない」
とも述べた。
ほほうほうほう。ほほうほう。
当方女子高出身ですが、
ほとんどの生徒が男漁りに必死でした(語弊あり
そして
男子校についての情報は一切なく、発言しようがないのですが
男子校に同性愛者、多いのでしょうか。
あれは薄い本とかゲームとかラノベとかの世界の話だと思っていました。
これも偏見にあたってしまうのですが、
事実が分かり次第脳内をアップデートしたいと思います。
(条例が制定された場合、)
児童生徒への啓発活動が同性愛を誘発する、という話も
ようは
「幼い頃から同性愛に触れないようにする」
という前提からの発言なわけですよね。
その必要性にも疑問を感じますが
そうやって大人が性愛的なものを制限したところで、
子供はそんなん関係なしに
興味を持ったものは追究していこうとするのではないかな、と
自分の経験上、感じています。
そうやって「隠すこと」に重きを置いて
偏りのない人権だったり
性教育だったりを教えずに人を大人にしてしまう、
この国の教育システムのほうが
同性愛を見せないようにするより
よっぽど問題があると思うんですが。
誰を愛するか、それを決めるのは個人の自由です。
どのような形でも、どのような相手でも
それを侵すような人権の制限は、この日本の法律には記されていないですよね。
勝手なご自身の価値観からくる発言なのだとしたら、それは
自治体をより良くするための議会に
持ち込むような発言内容ではない、と思うのです。
議会を全て見ていたわけではないので断定はできませんが、
同性愛を制限する反対意見としては根拠が乏しいように感じました。
最近、思うのは
「マジョリティーがマイノリティーを排除しようとする」
傾向が、表立ってきた気がしています。
もちろん
昔からそういうことはあって、
私も迫害されたクチなので…マイノリティーの立場、というものが
多少は解っているつもりでいます。
ただ、こうやって表立って
事件になったりニュースで報道されたりするようになることで
過去のような「泣き寝入り」だったり
隠ぺいだったり
邪魔者を排除して「はい、終わり」というような風潮だったのが…
「そうはいかねぇぞ」とばかりに
マイノリティーが声を上げ、
マジョリティーたちが都合よく過ごすためにしていた
人権迫害行為が明るみになるのは
決して悪いことではない、と思う。
理想は
法や条例の制限なくみんながみんな、
より同じ立場で生きていけることなんだけどなあ…
難しいのが実情だろうな、と思う。
私が騒いだところで、そうそうひっくり返るものでもない。
でも、私は
「昔からそれが当然なのだからあなたもそうするべき」
というような、
「それが当たり前だから」という
理由にならない理由で生きていくのが嫌というか、
過去と今を照合することを面倒くさがり
諦めて流されて生きていく、ということに拒否反応を示しています。
もちろん
古き良き慣習、というのもあるし
いいと思ったことはどんどん継承していけばいいと思う。
でも、古き悪き慣習まで継承する人が結構いる事実は…疑問に感じますね。
私はLGBTに関しては部外者かもしれないし
当事者のお気持ちをすべて感じ取ることができず、
せいぜい推し量ることぐらいしかできない。
でも、偏ることなく
「どんな人でも、そのままでいい」
「少数派の人間を特に理由もなく侮蔑や迫害しない」
…という思いを理想に掲げ、
それに近付けるようになりたい、そう思います。