今に至る予兆がすべて詰まっている、私の生い立ち

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私は、簡単に言うと
「他の人とは違う」なあ、と自分でも感じながら
この人生を生きてきました。

正直、生きていくことはこんなに辛いのか、と
生きるのが嫌になって死にたいと考えたことも何度もあります。

他の人にも悩み苦しみはあるのだろうけれど、
どうして私は
楽しい、嬉しいという感情はあるものの
それを凌駕する勢いで
いつも苦しいんだろう、辛いんだろう、というのを
この10年くらい、いつも考えている気がします。

幼い頃の私

幼い頃から、
私は俗に言う「いじめられっ子」でした。

運動が苦手、マイペース、癇癪持ち(これは特に家で発揮)、
強い人見知り、気が小さい、等の性質が

ちょっと心に余裕のない他の子供にとって、
恰好のいじめの素材だったようで。

他には、ぼーっとして授業が聞けないとか
(=勉強ができないことにつながる)

人の話をあまりよく聞かない、
習っていた書道塾、そろばん塾にきちんと毎週通えない、
(継続が難しい)

その時の気持ちによって
勝手な解釈をする(主にネガティブな)、

というようなことが多かったように思います。

不登校グセの発症

この性質を抱えたまま、私は
幼稚園、小学校、中学校、のそれぞれで
不登校を経験しています。

理由は

  • いじめられたくない
  • 休めば休むほど遅れてしまう授業を受けたくない
  • 登校した時の疎外感を味わいたくない
  • 苦手なこと(運動、部活、人間関係構築)をしたくない

という気持ちが
異常に強くなってしまったため、でした。

勉強に遅れると自分がきつくなるだろうから、と
いじめに遭っていても
仕方なく通学する子供が多いのでしょうが

私は、「逃げる」という選択をしました。

そして
甘え、怠け、逃げる自分が
どんどん大嫌いになっていった。

他の子と同じように振る舞えない自分に、絶望を感じていた。

「行きたくない」と母親に言っても、
理由など聞かれず「サボりはよくない」として
無理やり家から追い出されました。

そのうち、
朝、起きなければならない時間に起床できなくなり、
腹痛、そしてお腹を下すようになりました。

…その状態の私を、母は懲りずに追い出した。

たまに号泣しながら訴えると
(漏らしながら学校は行けないのよさすがにw)

仕方ないなぁ、というような態度で
かかりつけの病院に連れて行かれる、ということの繰り返し。

なので
厳密には、不登校とはニュアンスが違うかもしれません。

「登校拒否を繰り返し続けた義務教育期間」、でした。

時期によっては
周囲に恵まれて何とか登校できる期間もあったのですが、

一旦それが崩れてしまうとまた元通り、という感じで。

社会人になっても

何とか高校時代に持ち直して、
専門学校にも行くことができて
いざ就職したら…また、うまくいかなくなった。

私の就職先はアニメーション業界だったのですが、

アニメーションの仕事“だけ”に関しては
新人にしては上手だと周囲の先輩方に言っていただいたし
頑張っていれば、もしかしたら
有名な作品にも名前が掲載されていたのかもしれないのですが、

「それ以外の雑務」と
「先輩からのからかい、いじめ」に
耐えることができませんでした。

それ以外の雑務、というのは

当番制の掃除係や給仕係のようなものがあり、
どうしてもそれが得意ではなくて、たびたび先輩から注意を受けました。
(麦茶作って温いまま冷蔵庫に入れるな、とか
どんなに早く出社して掃除をしても始業時間までかかってしまう、等)

よって、先輩に
私のことをからかってくる人が出てきました。

意味もなく後ろを追いかけられたり、嫌な言葉を浴びせられたり。
(今で言うところのモラハラ、ですね…)

夢を追いかけるんだ、と息巻いて
1人暮らしまでしておいて
そのザマか、と
自分を責め倒しました。

元々希薄だった自己肯定の気持ちなど一切なくなり、
すべてのことは
自分のせいなんだ、自分が悪いんだ、という
自己否定しか考えなくなりました。

人生が、それの繰り返しになりました。

これまでもそうだったんだけど、
それを改めて突き付けられたような、そういう時期でした。

その後、実家に戻り
他業種に就職したのですが、

超ブラックで…9時~21時頃まで働いていました。
毎日が残業で、毎日が飲み会でした。

上司や先輩、同僚はとても楽しい人達で
なんとか頑張っていたのですが…身体が先に言うことをきかなくなってしまいました。

内臓の不調が回復せず、結局退職しました。

この後、正社員恐怖症のような思いに駆られ
同じアルバイト先で短期契約を延々と繰り返す、
という状態に至ります。
おそらく5年以上は働いていたと思います。

ヘルニアとの闘い

そして…この後、私は

「腰椎椎間板ヘルニアによる坐骨神経痛」

に、苦しめられることになります。

当時は家にPCも無く、
治療法が多岐に渡っていることもよく解らぬまま
駆け込んだ病院で
「牽引治療」をひたすらしていました。

痛みが治まるまで、1年以上かかり
その間、絵に描いたようなニートでした。

ちょうどこの頃、私の家では
財政破たんが起きまして…どちらにせよ、
最先端の治療は受けることができなかった。

…というのも、ニートでいた理由ではあります。

このあたりから、
うつ病でよく言われているような症状が出てくるようになりました。

人様に何気なく言われたことにショックを受けたり、
そこから立ち直るのが遅かったり。

いつまでも憂鬱な気持ちが自分を支配しているような…

時には
死のうと決意し、身辺整理を始めたこともありました。

哀しいかな現在ゴミ屋敷と化した我が寝室で身辺整理をするには
かなりのお金と時間を要する状況になっている…死ねない…w

この後も、仕事を始めたり辞めたり
色々あったのですが、

ヘルニアも数度再発したこともあって
世間一般で言うところの「社会復帰」は、
40歳になった今でも全くできておりません。

社会復帰の第一歩かな、と思うと
誰かが邪魔してるんじゃないか、ってぐらいに
見事にその復帰は失敗します。

邪魔してるのは「誰か」ではなく
「自分」、であることも自覚しているので
なおさら自己否定、自己嫌悪はひどくなっていっている状況です。

数年前に自律神経の不調だと診断されており
体調の面から回復のアプローチをしたこともありましたが、現在の時点では
これと言って効果的な何か、というのは
確認できていません。

調べていくうちに見えてきたもの

私はどうやらADHDのADDかもしれない

そうは言うても
未診断ではありますが…病院に行くことができていないので、
自称というレベルの話をさせてもらおうと思います。

ADHDのチェックリストではことごとく高得点(?)を叩き出します。

特性が自分と非常によく似ていること、
自分が幼い頃から人と違う、遅れている、
という認識があったこともあり

当てはめようと思えば、当てはまる。

でも、専門家からあなた確実にそれですよ、と言われたわけではない。

…そして、このようなことを書いていると
「無理やり当てはめている」ように思われたり
「ADHDに違いない」
私が思い込んでいるのではないかと周囲は思うらしく…

特に、親はこういう話を嫌がりますね…認めたくないんだろうけど、

両親よ、あなた方のほうが実はADHDっぽいからな。

自分の特性と生い立ちのコラボがここに

親が私の特性を認めず、放置したことや
貧困層、低所得世帯だったことなど、複合的な要因をもって
現在の諸症状の一因となっていると感じているので、
(あくまでも一因ですよ、それがすべてだなんて言ってませんよ、とか書いておかないと
すぐ勘違いされてしまうので書いておく)

直視しなかった親のぶん、せめて自分だけは
自分の特性について思い考え、認めよう、と思っている。

今までは、
自分自身が
自分の味方になることを拒否してきた人生だったので、

これからは、せめて私ぐらいは
私の味方だし
好きなようにいさせろや、という話です。

ついでにいうとASDの要素もちょこっとある

ASD、というのは
自閉症スペクトラムのことです。
アスペルガーはこの分類に入りましたね。

特性が自分と類似している、というだけで
こちらも未診断です。

理由や原因がひと通り分かったところで

ADHDやASDの
要素がないから定型で
要素があるから非定型、
という線を引き
枠にブチ込むことで
どうにかなるものでもないんじゃないかな、と感じる。
人間を二種類に分けたところで、
現実は多種多様だったりするわけで。

医学的にどうこう、というのも大事だとは思うのですが

何より重要なのは、
「生きにくさ」だったり
「その特性により辛い目に遭う」
「特性があると生活や仕事に支障をきたす」

…という、本人の困窮度が重要なのだと私は考えています。

当事者だけど楽観的な性格なら
困窮度が低い可能性だってあるし、

その特性ゆえに
幼い頃から悩み苦しみ迫害されてきた当事者の場合は
二次障害で苦しむというループにハマることも多いと聞く。

そして、他の疾患や
生い立ち由来で
そういう特性が出てくる、
人より強く出る、
そういう可能性もあるのですよね。

だから簡単に一言で
「それ」を表現することはできない。

それを踏まえると、私は
当事者でもそうでなくても
「ADHDライフハック」的な記事や書籍を参考にして、
今後の生きづらさを少しでも緩和していく、というのも
いいんじゃないかな、と思う。

と言いますか
私は勝手にそうします…だって生きてくのきついんだもん…w

いろんな人がいていいし、

その
いろんな人を何種類かに分けて
それとはちょっとズレているからって
排除したり、
攻撃の対象にしたり、という
「そっち側」にも
充分問題あるよなあ…と思う、

まがいものの当事者でした。