わたしの既往歴

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こんにちは、WOOL-BLANKETです。

この記事を最初に投稿したのが2019年8月なのですが、
まあとにかく暑い。何なら熱い

普段は
大丈夫、体力には自信がある、という方でも
この酷暑にプラスして
体調不良や寝不足、不摂生で熱中症の症状が…という話を目にしました。


お互い自愛したいですね…ここまで命の危険が、というレベルだと
ご安全に、という挨拶が妥当かもしれない。

私の簡潔で長い病歴たち

まず、私の病歴というか
簡単な「抱えているもの」歴を書いていきたいと思います。

簡潔な既往歴

年齢病名主な症状備考
13歳虫垂炎(盲腸)
慢性(薬で散らす)
→急性化し手術
下腹部痛
下痢と便秘を繰り返す
術後も腸の不調が続く
17歳腰椎(脊椎)分離症
腰椎にヒビが入る
腰痛数年後、ヒビくっつく
20歳うつ状態(今思えば)食欲減退、不眠、
ちょっとしたことで泣く
部屋で暴れる
激務ありの業界から
撤退により寛解
22歳腰椎椎間板ヘルニア腰痛はなし、ほぼ動けず、
強いこわばり
右足の後ろ側に走る激痛
牽引、
鎮痛薬での対症療法
25歳腰椎椎間板ヘルニア
(再発)
腰痛はなし、ほぼ動けず、
強いこわばり
右足の後ろ側に走る激痛
牽引、
鎮痛薬での対症療法
32歳腰椎椎間板ヘルニア
(再々発)
腰痛はなし、ほぼ動けず、
強いこわばり
右足の後ろ側に走る激痛
ブロック注射、
鎮痛薬での対症療法
35歳SAD
(社交不安障害)

(今思えば)
電話を取ろうとすると
全身が震える
うまく話せない
勤務中のあることがきっかけで
かかってきた電話を
取ることができなくなる

発達障害疑惑

おそらく私は
発達障害の類を持っている、ようです。
(未診断なのでグレーですが)

幼い頃の出来事やエピソードを掘り下げてみたり、
ネットに存在する簡易的な診断基準に照らし合わせてみると
どうやら
ADHDの不注意優勢型ではないかな、
という診断が下されます。

ちなみに、母は私以上に
程度の強い発達障害持ち…こちらもたぶんですが。

昭和の頃は
「困ったドジっ子お母さん☆」で
何とか切り抜けてきた母ですが、
これが老いるとすごいことになります。なりました。

この件はまた別の機会に書こうと思います。

「診断もせず勝手に障害者になろうとするな」勢のみなさまには
大変恐縮なのですが、
当方、非常に生きづらくて暮らしにくいんですよね。

でもってお金もないもんですから
診断を仰ぐことも一苦労なんです。
何せ通院できていませんからね。現状。

「無収入のひきこもり」と言っても過言ではなくて。

元々持っている発達障害の特性と似たようなものが、
いわゆる「二次障害」に
私の症状を進ませたのではないか、と
勝手に思い込んでいます。

通院歴としては、
2000年代後半から
うつの症状が出るようになり
心に関する自治体の相談に行ってみたり
心療内科に通ってみたりしていた時期がありました。

具体的なきっかけ

2008年とか、その辺りでしょうか。

ある時、勤め先で
タイミングが悪い時に
上司(何かと稚拙な女性だった)に
緊急の電話をつなぐことになったのですが、その際
本人的には重要なお話し中だったらしく、

キレられ怒鳴られました。

それ以降…会社にかかってきた電話が取れなくなりました。
取ると、ずっと声と手が震えてしまう。
ビジネス文法がごちゃごちゃになってしまう。

…という変化があって、

その会社では年契約だったので
電話取れないのは致命的だ、
次の契約更新の際に辞めよう、と思っていたのですが

会社のほうで、ちょうど
部署変革だのなんだのと言い訳をされて

まあ…クビにしたかったんだと思います。
ワケありの部署への異動をすすめられたので…。

契約更新は翌年3月だったのですが、
その場で年内に退職することにしました。

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件の子供おばさん稚拙な女性上司は
「媚びへつらう部下が好き」だった方で、

私まったく媚びなかったからな…気に入らなかったんだと思います。

とあるダイエット系事業で業績を伸ばした、
とある会社に勤めていました。

個人的には
その上司に治療費を請求したいと思う気持ちと、
(電話に出れなくなったことで、未だに仕事を探す時の障害になっている)
一生私の前に現れないでくれ、という気持ちを持っています。

当時、企業としてアウトなことをしていた内容の会話を
ばっちり聴き耳を立てていたので
告発…というのは大袈裟ですが
顔にモザイクかけつつ
「あの会社は~、昔こういう悪いことをしていて~」
と声を変えて
テレビに出ることができるレベルのネタを持っています。

ご要望の際はご連絡ください。

…たまにふと、そのような方法を使い
私の心に刺さった
このブーメランを引っこ抜いて
全力で投げ返したい衝動に駆られたりもしますが、

まあ、もう関わらないのがいいかなと思います。
当時倒産していたらそれもきついので辞めてよかった。
(現在、業績がよろしくないように見える)

その後、新しい勤め先に通うようになり
(電話取らなくていい仕事だった)

数年経った2010年の夏、

「仕事に行けなくなる」
「電車に乗れなくなる」
…という症状が始まりました。

電車に乗っていると、
めまい、立ちくらみ、吐き気。

一旦電車を降りてはホームのベンチで休憩し、
ちょっと落ち着いたらまた乗車して。

それを何回も繰り返して出社するので
遅刻が常態化してしまい、
不調な時には会社にたどり着けない、
…ということも多くなっていきました。

一旦は心療内科に通院して
投薬治療で落ち着いて、
なんとか工夫して通勤もしてはいたのですが
(座れる始発駅まで行ってから電車乗る、各停の電車に乗る、とか)

…2011年の3月に起きた東北の大きな地震で、
私はすべての症状を悪化させてしまいました。

当時、周囲に
地震の動揺なのか
言動が不安定になって
私に対して嫌な言い方や態度をしたり、
不安を解消するために
利用しようとしてくる人がいたりして、

そういう一連の「他者の行為」に
日を追うごとに、過敏になっていきました。
(特に社内で隣席の方が特にひどくて…モロに影響を受けた)

あとは、
一方的に慕っていた方(ざっくり言うと推しのことです)が
地震で動揺して態度が急変した、

…というのも
一因なのだろうなと感じています。

かっこよくて頼もしいと感じていた推しが
まあ…あれ以来地震にビビってヒヨっちゃったので(言い方

私も悪化したということは
ヒヨっていたのは彼だけではない、ので
お互い様だとは思うけれども。

結果、私は電車に乗れなくなり
会社に辿り着くことができなくなり、

…退職することになってしまいました。

退職した後すぐに
私の母が大きな手術をすることになり、
再就職する暇などないままに
母の介添のようなことをしたり、
入院や手術に関することであちこち奔走していました。

ボソボソと書いておくと、母の執刀医はこちらの著者です…母は本当に運のいい人でな…名医に執刀していただいたのよ…

その数か月後、
前述の既往歴にも書いた
「腰椎椎間板ヘルニアによる坐骨神経痛」が
動けなくなるレベルに達し、ダウン。

でも母があのような状態の時に
(退院後、肺炎で入院一歩手前に…)
ダウンしているわけにはいかず、
人生初のブロック注射でなんとか凌ぎました。

それでもひと月くらい動けず、
妹に家事を任せっきりに…。

その後、落ち着きたかったのですが
マンションの隣室に引っ越してきた住人が
「騒音」を発する人物だった為、
えらい目にあいました。

あれは異常だった。

管理会社を通して注意しても一向に止むことはなく、
最後のほうには
同僚を家に招き、
私の住む部屋側の壁を叩いたり
大声で聞こえるように
「隣(私たち家族)が苦情言ってきてさ~ギャハハ」と発言したりと
嫌がらせをしてくるようになりましてね…。

それも管理会社に言ったのですが
まあ…無理なもんは無理なんでしょうね…本人の問題というか…コントロールができないというか…。

深夜ずっとうるさいので
(テレビの音、あとはドア開閉音がものすごかった)
寝不足でしぬんじゃないかと思いました。いやマジで。

上に書いた状況プラス睡眠とれないことに
本当に危機を感じて、
ちょいちょいビジネスホテルに逃げたりしていましたね…。

最終的に
公的な集合住宅の抽選に当選して引っ越すことで
(住宅費が捻出できなくなってきていたので、騒音隣人が来る前からずっと応募だけしていた)
隣人騒音から回避されたわけですが。よかったよかった。

引っ越しの際、
母のトンチキ言動の悪化、などで
その後も悲喜こもごもあったのですが

なんとか、
どうにか、
生きております。

細かいことは書ききれないのですが
本当にちょいちょい問題がおきまして、
その度「今度こそマジでしぬんじゃないか私…」と思いつつも

なんとか、
どうにか、
生きております。

都度、行動に移すような
「能動的な解決」を選択したわけではなく
「戦略的回避」という選択も結構ありましたが、

なんとか、
どうにk(しつこい

自分の後悔と、今後のこと

ずっと、そうやって
仕事で何かあっては逃げて、
震災の影響で自分を利用してくる人から逃げて、
そういうことを、繰り返して
逃げて生きてきた自分に…劣等感をおぼえることもありました。

常に「私は逃げてばかりの弱い人間だ」、と
自分を責めながら生きてきました。

ただ、今になると
そうでもなかった」のだと思います。

先に書いた
戦略的回避」に近いのではないか、と。

どんなに
自分と合わない、加害的、
などの理由があったとしても
周囲の環境や目の前にいる誰かを
変えることは…できない。

相手を変えるには
相当の労力が必要な上に
実際に変わるかどうかと問われると、
絶対に環境や相手を変えられます、とは言えない。
何なら時間の無駄だったりする。

それなら逃げるしかない

もっと適切な言い方だと「離れる」。

自分にとって
代替のきく「何か」に立ち向かうのは、
(その「何か」が大切だとか必要だとかなら話は変わりますが)
有限である時間を大事にしていないことになるのでは、

代替がきくのなら、
「離れる」選択をして新天地に向かうのも
ひとつの方法で、
自分の怠惰で逃げることにはならない。

そういう結論に、私は行き着きました。

ここに至るまで、
随分と時間を使ってしまったなあ、とも思うし
そこまで大きな苦しみだからこそ
時間が必要だった、とも言えるのかもしれません。

普通の人にできることができない、という
生きづらい特性を持つ私にとって、
様々なことを「知る」ために必要な時間だったのかもな…。

でも、きっと
それは
早いにこしたことはなくて、

似たようなことを抱えている方たちには
できることなら、
もっと健やかに穏やかに楽しく生きていってほしいと思うんです。

このサイトを作った理由の一つに、それがあります。

私のようになってほしくないから、
自分の体験や得たことを以て
何かのヒントにしてくれたらなあ、と思っているので

今後も
高頻度、というわけにはいかないのですが
自分のペースで
このサイトを作っていこう、と考えています。

以後、当サイトのことも
お見知りおきいだたけると嬉しいです。

お読みいただき、ありがとうございました。