社会的弱者にも種類があるという話

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長谷川豊さんの記事、発言、

色々と話題になりましたね。

きょう現在の最新記事はこちらです。

 

blog.livedoor.jp

 

 

 

基本的に、

言葉で戦うべく

相手を見つけて対戦したがる、挑んで勝とうとする、

そういう価値観の人が苦手です。

それやりたいなら

高校の弁論部に入部してディベート甲子園に出ておいてくれ。とか思う。

 討論が目的とした場なら分かりますが、

ブログやSNSでそれをやろうとするのを

「場違い」と呼ぶんじゃないかな、などと思ってみたり。

言葉でやり合いたいなら

その旨をきちんと明記しておいた上でやってほしい。

 

 

長谷川さんの「透析は甘え」とは少し違うのですが、

ほんのり関連してくるような気がしたので、

今日は「社会的弱者」について

あれこれ書いてみようと思います。

 

社会的弱者

社会的弱者(しゃかいてき じゃくしゃ、英: socially vulnerable)とは、一社会集団の成員でありながら、大多数の他者との比較において、著しく不利な、あるいは不利益な境遇に立たされる者(個人あるいは集団)のことである。(引用元:Wikipedia

 

主に、

  • 所得格差
  • ジェンダー(性差)
  • アクセシビリティ
    (身体的能力、学歴、社会的スキルなどによる差別)
  • 法律的、文化的
  • マイノリティ(少数派)
  • 情報弱者
    (ネット環境がないなど、得る情報が少ない)

…などを理由とした差別によって

社会的に弱者という立場を割り振られてしまった人、

という解釈を私はしています。

 

給食費未納 子どもの貧困と食生活格差 (光文社新書)

 

社会的に不自由な人が

行政からの助成(生活保護や老齢以外の年金などなど)を受けていることを

「甘え」

とする意見が出ると、

ネット上で叩かれる風潮にある。

 

でも、私の周囲を見渡してみると

その「甘え」とカテゴライズされた人の中に、少しだけ

 

「助成を受ければ受けるほどそれに乗っかりどんどんエスカレートしていく人」

 

が、いる。

 

そういうタイプの人は

どんどん行政のお金を吸って寄生する。

それが当然のものとなっていく。

働かなくなる、依存症や体調不良になる、余計にお金かかる、

…というような段階を踏んでいった人を

何人も見てきました。

 

弱者とひと口に言っても

弱者度の違いによってできること、可能なことって

探せばあるような気がしている。

私も実は社会的弱者にあたるのだけれど、こうして

自分の言いたいことを書きなぐったりしている。

他にもちまちまと何かしている。

「何もしていない」わけではない。

 

それを一切することなく

行政におんぶに抱っこ、ということになると

それは世間的に言われている

「甘え」の範疇にあたるのではないかな、と私は思います。

 

「できない」と「やらない」は、違う。

できなくて構わないと思うし、

できるところまで頑張っている人はすごいと思うし、尊敬している。

 

でも

「やらない」「やりたくない」は

(何がしかの疾患の可能性もあるので、一概には言えないんだけど)

ちょっと違うのではないかな、とも思うんです。

 

甘えも怠けもわがままも

してはいけないことだ、と言いたいわけではない。

世間ではそれはNGということになってるけど、正直なところ

そんなん知るか、というのが本音で。

甘えたっていいと私は思う。

ただ、それを長期に渡って行うのなら…話が変わってくる、ということです。

 

人に迷惑をかけるなら、かけただけの気持ちや思いを

自分でちゃんと設定することを私は勧めたい、ということなのですが。

死ぬまで甘えて怠け倒したい、というのなら

インドに移住することをおすすめします。

価値観がぴったりハマると思いますので。

ただ、

人から受けた迷惑も許すことが求められるようですが。

 

togetter.com

 

よく、行政からの助成を受給している人間は

贅沢してはいけない、控えろ、という人がいますが

私はそれは違うと言いたい。

そういうことを言い出す人も出てくるだろうけれど、

それは

「自分の資産(支払った税金)なのに、そういう使い方をしてくれるな」

「元々は自分のお金だったのにもったいない使い方をするな」

というような

他人の事情や困窮を理解しようともしないことからきているので、

気にしなくていいと思う。

 

そもそも税金って、

市民が資産を預けたわけではない。

ペナルティで支払っているものではない。

住まわせていただいている、というショバ代でもない。

 

個人的には

住んでいる土地を住みやすい場所にするための寄付、

(もちろん本当の意味合いは違うのですが)

くらいの気持ちで支払ってもいいのでは、と

私は思う。

 

同じ土地に住んでいる人の生活が向上すると、

住みやすくなると私は思う。

ただ…その寄付を

行政がきちんと使ってくれるかどうか、

という話になってくるんだけど…(遠い目

 

以前住んでいた場所が

あまり治安が良くない地域で、

それこそ

生活保護を受給してほとんどをパチンコや酒代に使ってしまうような、

そういう人がそこそこ住んでいました。

パチンコもお酒も嗜む程度の楽しみ方をするのが適切で、

それにお金をつぎ込むのは贅沢とは呼べず

助成金が依存症のエサになっていく、そういうイメージが私にはあります。

 

 私は、

「お金に困っている人に現金を助成するだけ」では、

有効ではないように感じている。

お金に困っている人がどのような理由で困っているのか、

病気なのか、介護なのか、依存症なのか、

それとも別の何かなのか、

それを解決する方向にもっていくのが

重要度ではいちばん上にくるんじゃないかと私は思う。

(たぶん優先順位からいくと現金助成が先なんだけど、解決につながるとは言い難い)

このままだと、

行政の負担額が増えていくばかりなんじゃないのか…。

 

困っている人の相談窓口があるじゃない、

という方もいるかもしれない。

 

でも…実体験として、

自治体の職員が付け焼刃で福祉や心理方面の資格を取ったりして

その方が相談員になるケースがあると思うのですが、

あれは個人的に…意味をあまり成さない、と感じた。

無料相談なことが多いので予算等々限界があるのも承知しているし

その業務に懸命に取り組んでいる方には失礼な言い方になってしまいますが、

…プロにはかなわない、そう思いました。

専任でその仕事をしているのなら話は別ですが、

他の役所の職員としての業務を抱えつつ

他の人の相談に乗る、解決へ向かわせる、というのは

その職員の負担も大きいし

成果としては上がりにくいのでは、と思う。

単に私のいた自治体の担当者がハズレだった知識足らずなだけだったのかもしれませんが…

 

 

本当に困っていて必要な方に支援を回すためにも、

行政の助成に寄生して吸い取る人を減らすためにも、

お金を渡してハイ終わり、ではない

プロの手を借りた、そちらにお金を使う方向の

行政サービスがあったらいいのにな、と思います。

 

今はまだ、具体的に

サービスの提案が思いつかないので、

 文章がまとまった時に改めてブログに書こうと思います。

 

池上彰とホセ・ムヒカが語り合った ほんとうの豊かさって何ですか?