当サイトのコンテンツには
広告が含まれていることがあります。
記事内で紹介する商品を購入することで、
当サイトに売り上げの一部が還元されることがあります。
を読ませていただきまして
ほんの少し、いや
結構引っかかる部分があったので、
執筆されたご当人(以降「元増田」さんと表記します)には
非常に申し訳ないのですが、
個人的に、主観的に
色々ツッコミを入れさせていただきたいと思います。
高校の時にお知り合いになって、
とても密度の濃いお付き合いをしているご友人と
最終的に連絡を取らなくなった経緯について書かれているのですが、
まず、
「執筆者の主観が多分に盛り込まれている文章」
であることを念頭に置かないと、
たぶん…私のように少々感情的になる方もいるかもしれません。
彼女はやりたいことがあると言って、
高校を卒業するとすぐある創作活動を始めた。
彼女は今こんなことをしてる、と言って
創作活動の作品を見せてくれた。
正直自分から見ると、それはあくまでも
趣味の範囲のレベルにしか見えなくて、
本当にこれで食べていけるようになるのかな…?
と疑問を感じるときもあった。
これは…元増田さんの言う通りだと思う。
そうそう
自分の感性だけで作った作品が、おカネになるわけはない。
私は彼女に、
大学の友達とした喧嘩の話や、
バイト先の嫌な先輩の話、
そのとき付き合っていた彼氏の愚痴などの話をすることがあった。彼女はそんなとき、
必ず私の行動を支持してくれた。
そして大学の友達やバイトの先輩や彼氏の言動を
(どんなことでも)思いっきり否定し、文句を言ってくれた。
素敵なご友人ですね。
共感という行為じたいを
したくない、という方も多いものです。
女性の中には
同性に厳しいというか天邪鬼というか、
人の言うことなすことの
異論しか言わないような人もいますのでね。
…ただ、ここで思ったのは
ご友人は、
「元増田さんのこと否定しないから、私のことも否定しないでね」
という前提で、
支持してくださっていた可能性があります。
女性同士の友情でよく聞きますが
「私がこうだからあなたもこうするべき」、という
自分に共感し、一緒に動いてくれる人を
女性は友情に対して求める傾向にあると思います。
元増田さんはこの後、
大学に入って、新しい関係性を知ることとなるわけですね。
大学で知り合った友達は、
私の話や、私の行動におかしなところがあれば、
それを指摘してくれた。そして自分に対しても、
そうして欲しいと言ってくれた。
そして自分では気づいていなかった、自分の悪い所を言ってもらえるのは、
有難いことだなと思った。
…これって、あくまでも
そのご友人の主観ですよね。
一般論、とも言えるかもしれない。
そのご友人にしてみれば
「よくない所」、かもしれませんが
他の人が見たら、それは
そのままでもよかったかもしれない部分なわけです。
そのご友人が…もし、その時に
間違ったことを教えていたら
元増田さんはどうするつもりなのかな、というのが
現在気になるところです。
でもって、元増田さんは
高校からのご友人に対して、
気になるところ、直したほうがいいであろうところを
どうしても伝えることができず、
お互いに会うたびに
褒め称え合っていた、とのことですが…
…これ、そんなに悪いことなのかな…。
それはそれで、いいんじゃないかと思うのは
私の頭のネジが緩んでいるからなのでしょうか…w
私は大学を卒業して就職した。
仕事を始めて四年目、私は勤務先の上司と結婚することになった。
私は結婚を機に退職することになった。
彼女はあの後も創作活動を続けながら
バイトをしたりしていたが、
思うような結果が出なかったようで、
やっぱり社員になるといって就職活動を始め、
私と同じくらいの時期に就職した。
そして半年〜1年するくらい毎に、転職を繰り返すようになった。彼女は私にも一緒に合コンに来て欲しい、と言った。
人数合わせにきてよ。と。
私が結婚してるから無理だよ、と言うと、
SNSに思わせぶりに、
結婚すると変わっちゃう人っているよね、悲しい、
と書かれた。
(こちらの引用は文章の一部を抜粋して寄せ集めております)
はい、これ完全なマウンティングですよね。
私は
他の友人のアドバイスで自分を直したりできるし、
困ったちゃんの友人にも
やんわりと嫌な思いをさせない程度にアドバイスして、
わたし向上心あるでしょう、
この友人とは違うのよ、と言いたいだけの
ただのマウンティング行為です。
確かに、
この高校からのご友人は
比較的自由に、ワガママに
お過ごしになってきた方なのだろうな、というのは
容易に察することはできます。
「大切な友人が変な態度をすることで人生踏み外して欲しくない」
…というような思いを抱かない、と言ったら
嘘になります。
こういう性格してるから
こういう人生歩んじゃうんだよ、とか
それじゃあ彼氏に逃げられて当然だよ、とかw、
そう感じる友人は私にもいました。
でも、それは
友人本人が「気付く」まで、
こちらはどうすることもできないものです。
自分で
気になることを相手に助言する、のは
別段よくないことではないと私も思うのですが、
元増田さんは
その先を期待しちゃってるのではないかな、と
私は感じました。
気付いて欲しいという思いから
アドバイスをする、という方。
自分の考えが正しいと信じて疑わない方。
それをすること自体を咎める理由はないけれど、
覚えておいていただきたいのは
…迷惑だと思われることはあれど、
感謝されることがないケースもあるということです。
人には
様々な性格、特徴があります。
この元増田さんのように
助言を吸収して、変化できる人ばかりではありません。
言いにくいことを指摘して、
諭し、見捨てないでくれた大学の友達のおかげで、
少しはマシになった。話していて、
お互いの意見が違ってぶつかってしまうこともあったけれど、
相手に合わせて自分の考えと違うことにただ同意するだけよりも、
全然気持ちがすっきりするということに気づいた。
もし、誰かに自分の至らない部分を指摘されて
言い合いになって、最終的に納得のいく結果になったと
自分で思い込んだとしても、
それって…極端な言い方をすると、
どちらかが論破されただけのことではないでしょうか。
もっとえげつない言い方だと
自分の意思を押し通せる方が勝っただけ、ということです。
…それ、納得していいんでしょうか。
自分の特長を、
もしかしたら
他の人から見たら「個性」だったかもしれない性質を、
そのような
ディベートみたいな友人との言い合いで、簡単に変えていいんでしょうか。
もっともっと偏った言い方をさせてもらうと、
「相手に論破されて納得させられて、言いなりになっている」
…という風にも、私には見えます。
その、指摘された内容というのが詳しく分からないので
なんとも言えないのですが…。
「友情観」みたいなものは
十人十色というか、みんながみんな違うものだと思うんです。
どこでもいつでも一緒、が友情だという人もいるし、
励まし合いながらもライバルのような関係が友情だと考える人もいる。
元増田さんは
「自分の至らないことを指摘してくれて、それを話し合うことで理解し合える関係」
…が、友情観である、ということですよね。
ただ…個人的に
私はそうではない、ということを
言わせていただきたいと思います。
私は、どちらかというと
…最初に出てきた、高校時代のご友人に
極めて近い性質だと思いました。
ネガティブというか、愚痴っぽい性格です。
あんまり暗い話が続くのも嫌かと思って、
最近あった面白かったこととか、
彼女の趣味に合いそうなおすすめの本の話とかを、
少しずつメールに入れて送ってみた。彼女は、
面白い話だね、とか、今度読んでみるよ、とか返してくれて、
私は少し元気づけられたかな、などと能天気に安心していた。でも昨日、彼女のSNSを見たら、
結局ただ自分の話をしたいだけの人って嫌だよね、
疲れてるんだからほっといてほしい、
心配とか言ってるだけで口ばっかりだ、
と、近況の欄に書き込まれていた。
私、こういう風に思うんです。
人が回復するためにはどうすればいいか、という話になると…手厚い介護とかケアとか、足し算することを考える人が多い。本当は自然治癒力のサポートだけでよくて、引き算というよりはプラマイゼロな感覚だけど…そういう感じでいいんじゃないかなぁ…疾患内容によるけれど。
— WOOL-BLANKET (@bonvoyatetsuko) 2014, 5月 25
ご友人のことが心配なのは解るけれど、
例えば…「最小限のメールだけで後は見守る」
という方法などは、
思いつかなかったでしょうか。
相手になにかしてあげれば
相手がどうにかなるかもしれない、
自分が親切にしたことでその通りになってくれるかも、
という考え方は
私は違うように思います。
「暗い話が続くのも嫌かと思って」、というのも
元増田さんの主観に過ぎません。
もしかしたら、
「一緒にネガティブになって共感してほしかった」、が
この場合の正解だったら
元増田さんは間違ったことをしていた、
ということになります。
相手になにかしてあげる、という
足し算のケア、これを
日本人は重要視する傾向にあるけれど、
それで…苦しみが悪化することもある、
という事実に
気付いていない人がかなり多いように
私は感じています。
特に、精神的に参っている時は
そのような
「見返りを含む親切」がしんどく感じます。
…これで病んだようなもんですから、私(笑)。
かなりの長文になってしまいましたが、
人付き合いに正解などないし、
あるのは
その時の自分に合うか合わないか、それだけ。
相手を否定して
自分を正しいと思い込もうとしても、
相手を肯定して
自分をその「正しい」とされる性格に変えても、
また、どこかで
「それ間違ってるよ」と言われてしまうと思うんです。
人との交流が続く限り。
それが嫌なら、
また自分が変わればいいし
もう変わりたくないなら、
自分の考えを確立させて
気の合う人の近くでずっと過ごせばいい。
そもそも、友情は
やめるやめないというような
契約で成立するものではない、と私は思っています。
なんか言いたいことがごっちゃごちゃになってしまった…(^_^;)
とにもかくにも…たとえ釣りだったとしてもw、
私の言いたいことを
元増田さんには一切理解されない感性で
書きなぐった、というだけの記事でございました。
お読みくださった方がもしおられましたら、
ありがとうございました。
それが私の活力になります。
話を読んでいただけるだけでも、癒されます。
(誰がきてくださったかわかんないんだけどね…w)
また、お時間のある時にでも
当ブログ「ぼんぼや日録」に遊びにきてくださいね。
よろしくお願いします。