底辺から見た進学

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こんにちは。 
ご来訪ありがとうございます。

東京で初雪が降りましたね。

テレビ局各社が撮れ高のために
八王子駅前に集結する様子を見ていると、
それを如実に感じます、

雪の降るシーズン、ということは
受験シーズンでもあります。

雪が降るたび、
なぜか自分の受験のことを思い出します。

私は、いわゆる「底辺」だったことで
受験に難儀した、その時の出来事を
ここに記していきたいと思います。

以前の記事とかぶっている内容もありますが、
お許しください。

低所得層の高校進学

私はいわゆる、
低所得層という部類の家庭で育ちました。

低所得とはいっても
様々な事情、状況があると思いますが
一例として、私の育った環境を
書き記しておきます。

住環境

まず、住環境。
私が病院で産まれて戻った家は
いわゆる二軒長屋のような…とても古い賃貸物件でした。

はじっことは言え都内にあったので、
13年ほど住んでいたその住宅は
取り壊しとなり、駐車場になりました。
6世帯を格安で貸すのなら、
その土地に20台停められる駐車場を作って
数万円で貸したほうが確かに利益にはなりますよね…。

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(※イメージ画像)

食事の環境

低所得ということで
食生活も…当時は
困窮しているとは特に思わなかったけれど、

比較的高額で健康的な食品より
加工品や市販のお菓子を食べることが多く、
私はもれなく肥満気味の子供になりました。

貧困のほうが、肥満になるんですよね…。

なので「腹を満たす」という意味では
一切問題はなかったのですが、
その質はあまりよくなかったように思います。

そして、
まったく家計管理を苦手とする母が
給食費を払わず、そのお知らせの封書を
担任教師からこっそり渡される、ということは
何度もありました。

お金の計算が苦手、加工食品ばかり、
というのは
貧困あるあるなのだと思う。

「衣」の環境

私自身、あまり
ファッションにこだわりがなかったからなのか
(そして母が衣服を作れる人なのもあって)

穴が開いているとか汚いとか、そういう
困った感じはなかったように思います。

母の特徴として、
低身長(147cm…)で
痩せすぎだと心配されるような体型だった頃があり、
(出産して太った)

私(肥満児だった…貧困って太るんですよね…)が
着る洋服に困っている姿を見て、
根気よく買い物に付き合ってくれたり
サイズを直してくれたりしていました。

なので、
幼い頃…中学生くらいでしょうか、
その辺りの時期までは
自分では「普通の子」だと思っていました。

でも…幼い頃はそういう感じでもいいのでしょうが、
その後、避けて通ることのできない
「進路」というものが
問題として急に噴出するわけです。

進路、私の場合

私が中学生だった当時は、
地域差もあるとは思うのですが

9割が高校進学、

あとは
専門学校や各種学校に進学して
数名は就職する、という感じだったように思います。

個人的に、中学生活が散々だったので

高校デビューを狙って高校に進学してみて、
頑張ってみたいという思いがあったので私も進学を希望しました。

成績の問題

ですが。
いかんせん成績が悪かった。

そして出席日数が少なかった。

勉強をしない言い訳になってしまうかもしれませんが…。

私の家は
学習机を買うお金もなく、
学習机を置くスペースもなく…という状態で

小さな折りたたみ式のテーブルだったり、
うつぶせに寝そべりながらだったり、

「机に向かう」という行為を
学校でしか行っていませんでした。
行えませんでした。

父が独身時代から持っていた
ライティングデスクを借りるにしても、物置きになっていたし…。

こういうのでいいから欲しかった。

めっちゃ環境のせいにしてますね私…

体験したから言えることですが、
苦しい環境で
光を見出して勉強して努力して大成する、ということは
一般人には不可能です。

苦労人の成功ストーリーをちょいちょい見かけますが、あれは
ごく限られた人のお話で、
本来なら
環境に流されて生きていくパターンが多いと思います。

もちろん、
学習塾に行くお金もなかったです。

出席日数の問題

そして当時は
友人だった同級生が急に手のひらを返して
私はその元友人となかまたち、に
いじめられるようになって…学校に行く回数が減った。

同時期に体調不良にもなった。

完全なる不登校というよりは、
登校拒否と体調不良の混合で
学校を休みがちだった、が正しい。

そして、さらに
中3の時に母が手術&入院する事態となり
私は勉強が手につかなくなり…

私は親に対しての
愛着というか執着というかが強くて、
大人になった今でも
心の中では、親にかなり依存している自覚を感じている。

なので、かなり精神的に不安定になりました。

…そういう事態になって、ようやく
自分の努力不足を恨みました。
でも、もう遅い。

成績を取り戻すにしても、
環境、時間、全然足りない状態でした。
全日制の普通科には、
その学区域(当時はあったんですよ学区域)で
最底辺の高校ひとつ、だった。

教育現場の問題

私は
入試だけでも挑戦させてもらって、
それで無理なら他の道へ…と考えていた。

それを面談で担任に伝えたところ、
「きみが入れる高校は…公立で最低偏差値の学校になるけどそこはおすすめできない」
「専門学校もすすめられないなあ…」

じゃあどうすれば?先生的にはどうしたいわけ?
…というのが本音でした。

後から知った話なのですが、
その担任は私を受け持つ数年前に
進路プロデュース(?)がうまく行かずに
ある生徒の進学ができなくなった、
ということを聞きまして…。
(高校浪人ってかなり珍しいケースだった)

もしかしたら、担任は
私のような成績不良の人間をチャレンジさせることで
同じ轍を踏んだらどうしよう、
教師の経歴に傷がつく、というような
のっぴきならない状況だったのかもしれませんね…。

高校進学とその先と

担任教諭との話は
いつまで経っても平行線で…それを見かねた
学年主任の先生が骨を折ってくれて、

「知り合いの先生がいる私立の女子校に推薦できるけど、どうする?」

と、打診されました。

…即決しました(はやい

なぜ即決したかというと、
担任まかせだと不安で仕方なかったし、
面談で
将来就きたい仕事を話しても、スルーされていた。

でも学年主任の教諭は
私に再度その質問をしてくれたので、返答したら

その希望がこの高校だと叶えられそうだね、
パンフレットにもそう書いてあるし、

と、超絶うまいプレゼンで
私はまんまとその話に乗っかった。

担任は、唖然としていた。

唖然とする権利など
お前にはないけどな。

そして、
三教科の試験と、簡単な面接。

自分では合格できると思っていなかった。
担任が躊躇するくらいに行ける学校がなかったのだから。

…結果、さっくり合格しました。

他の高校を受験することなく、私の受験生活は終結しました。
(ちなみに学費ですが、自治体で無利子の貸付制度があってそれを利用しました。これがなかったら私は進学できなかった…)

小論文とか書いてみたかったな。
文系は得意だった…国語の偏差値が私の高校受験を救ったようなもんだから… 

悟ったこと

私は本当に運がよかったというか、
学年主任の先生が間に入ってくれなかったら
たぶん進学できなかったと思う。

でも、そうして分かったことは
運だけで生きていくのは限界がある」
「結局は実力

…でした。

ご家族やご自身の事情があって
勉強の継続が難しかったという方はいると思うので、

学校の成績が下位であったからといって
それ「だけ」で人を評価したり量ったりしてはいけない、とも思う。

でも、それでも、
やっぱり学校の勉強だいじ。

実力をつけるための行動をとっていなかったことを
私はとても後悔したので、

できることならば
その場で吸収していくといいんだろうな、
そういうクセをつけ訓練しておくことで

高校受験だけではなく、
その後の社会でも
わりと苦しみの少ない状態で生活を送れたのにな、とも感じました。

大事なのは授業の内容ではない、
とも思いました。

授業の内容を覚えているに越したことはないけれど、
社会で必要なのはそこではなく
方法」「手順」というようなこと全般において
自分なりのやり方を確立させていく、
そのやり方をブラッシュアップさせていく、

…という部分が大事なのかな、と思いました。

そういう風に生きてきた私の現状

…最初からみんなが知っていることを、
私は知らない。

都度、急いで覚えなければと思うので余裕もなくなるし
パニック起こすし
そうなるとミスも増える…という感じで、悪循環がはじまる。

この場合、具体的な内容を覚えるという意味ではなく
その手前というか、
感覚的に分からないから
やりようがない、
みんなが行っている「覚える」
という段階に行く以前でつまづいている感覚です。

その部分に
ある程度の余裕を持っていると、
社会生活はまったく違うものになるのだと思う。

落ち着いて行動できることでミスが減るし、
何かに気付けたりもするだろうから。

心に持っている
「焦り」という名の液体が入ったコップは、
新しい一滴を加えるだけでぶわっと溢れて拡がって
焦り一色になる。

その焦りは、苛つきになることもある。
そうなると
他人に対しても嫌な印象を持たれるような言動が増えるだろうし、

 感情が邪魔をして
冷静に覚えれば楽勝なことでも覚えにくくなる。
当然ミスだって増える。

…自分の立ち位置は、
ヒエラルキーで言うところの最下層だと思っている。


底辺の人間として、
何も考えずに「勉強きらいだし~」とか言いながら
惰性で生きていくのは、どうしても嫌だった。

でも…「普通の人たち」には追いつけない。

普通の人になりたかった私は、
一時的にものすごく頑張りました。
メーターを振り切って走り続ければ、
どうにかみんなと肩を並べることができたりもした。

そんな私は、最終的に無理がたたり
精神疾患を発症しました。

現状は、
「理想の場所には行けない」のが事実なのだと思う。

普通の人たちにはなれない。

でも…貧困を良しとして、惰性で生きたくない。

答えは…出ない。
できることから、やっていくしかない。

今は…そのスタートラインから
片足を出しかけて浮いているような、そういう状態なのだと思う。

一歩目を、踏みしめることができたのなら
それが成長なのだと思う。