子供が「逃げ場」に逃げたらこうなった

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こちらの記事は、

子供の「逃げ場」

前回書いた記事の続きのようなものとなっております。

この記事では、
「逃げた子供が具体的にどうなったのか」、ということに特化して
書き記してあります。

よかったら併せて読んでいただけると
WOOL-BLANKET、非常に喜びます。
よろしくお願いいたします。

ただ文章が長いです今回も…まとめるのヘタでごめんなさいね…笑

プロローグ

私は
不登校真っ最中の中学時代、
逃げ場がどこにもなくて、それこそ何度も
近所の川に飛び込もうと考えていた。
(深いので確実に逝けると評判だった…実際に身を投げた人もいる)

同級生で単車を乗り回している子の仲間になろうかな、とも思っていた。
(そちら方面の同級生と、わりと仲が良かったこともある)
でも勇気がなく、実行には至らなかった。

…ある時、何かがぷちん、と切れた。

母に対して暴言を吐きまくり、家で暴れた。

「なんでいじめるほうが悪いのにお母さんは理由も聞かずに私を追い出すんだ!!!!!!!!!」
…と。

私は、家を居場所にした。
暴れて暴れて、自分の居場所を手にした。
と言っても普通に家でサボってるだけだったけど…

母は
私が暴れたことでさすがにヤバいと思ったのか、
登校時に家から追い出すことはしなくなった。

でも、

いじめられているのはあなたが悪い

いじめられるほうに原因がある

と、言い続けた。

…私の自己肯定、という心は
この時期粉々に砕け散った。

元々そういう発言の多い母なので、
たぶん幼い頃から
母にちょっとずつヒビを入れられていたのだと思う。

これ以降、私は
どんなに相手が悪くても
「自分の態度が悪かったのかな…」
「自分のせいだ…」
などと思ってしまうようになった。

心が弱っている時の「言葉の呪い」は
とてもよく染みわたる。
もちろん悪い意味で。

逃げたらこうなった(中学編)

私の体験からいくと、
幼稚園と小学校は
不登校をかましてもどうにかなるんですがw、

中学校…高校を受験する時
見事に引っかかりました。つまづきました。
大変でした。

中学時代の不登校は
幸いにも中3のクラス替えでほんのり解消されまして、
(加害者たちとクラスが離れた)

それでも
「あいついじめられてた」という触れ込みは回っているので、
ちょいちょい、加害行為というものがありました。
それもそれできつかった。

私は
出席日数がトータルの半分ぐらいしかなくて、
中学卒業は可能でも
高校受験の内申書に記載しなければならず
そこで不合格になり得る、
進学は厳しい、という状態でした。

ここで
何不自由なく毎日通学できている人は
よほどの理由がない限り進学を選ぶだろうし、
選ぶにしても
成績と学校の特色、公立か私立かなどを照らし合わせて決める、

というぐらいの労力で済む。

しかし私のようなケースだと

  • 高校進学
  • 大学入学資格検定
    (いわゆる「大検」)
  • 専門学校(高等学校と同様に、3年間通学する「高等課程」というものがある)
  • 中卒でも入学できる専門学校、各種学校

…という
バラエティ豊かな選択肢がまず現れます。
そこで時間を取られます。

行きたい学校を選ぶ前に
進学する/しない、という選択肢が出てくる。

私の時は、担任の若い男性教諭が優柔不断で大変でしたね…

こういう当たりはずれご縁の問題も出てくるわけですね…

で、この担任は

  • 近隣でいちばん偏差値が低い公立高には行かせたくない
  • 高校進学以外の選択肢を質問したら曖昧に回答され、高校進学以外の選択を渋られた
  • 自分の担当しているクラスから不合格を出したくない

んですよね。たぶん。
で、出席日数が少ないから云々とごにゃごにゃ言ってるわけです。

じゃあどうすれば?
解決策は?
という話ですよねw
それの具体的な言及は、担任からは一度もなかった

14歳とかそこらのガキに分かるわけねえだろうが。

それを決めている間に
母が入院するなどして色々忙しくなり
最後の最後まで、私は決めることができなかった。

元々の特性(発達不注意優勢型…グレーだけど)が、
それに拍車をかけた。
担任に急かされることもなく放置されていた私。

最終決定の日、
(ということを誰も教えてくれなかった…もう少し先でも平気だと思っていた…)
未だ決まっていないことを告げたら、

慌てた担任が「学年主任のベテラン教師と相談しろ」と
私を職員室に呼び出し…丸投げしたんですねようは…。

学年主任の先生とパンフレットを見ながら
話すこと10分。
受験先があっさり決定した。

一般受験ではなく単願推薦という形で、
知り合いの先生がいる高校だということで
まだ受け付けているか電話して聞いてみてくれた。

私の場合は、
周囲に高校受験経験者が誰もいなかった(両親中卒、私は長女)ことや
親が無知&病気療養中だったことで

分からないことを分からないままにしておいた、というのが
非常によくなかった。

自分からどんどん調べればよかったんだけど、
不登校をやめたばかりで
「登校するだけで精一杯」の人間に…その余力は、なかった。

逃げたらこうなった(高校編)

高校のスペックは

  • 低偏差値、私立(女子校)
  • いわゆる職業科、専門高校(商業科でした)
  • 通学:自宅から電車で一時間ほど
  • 後にワケありさん受け入れ高校(?)だと知る

…という感じでしょうか。
どうやら私もワケありさんの一人だったようです。

入学できたこと自体が嬉しくて、
私は勉学にまい進しました。

成績が嘘のように上昇し、
資格も取りまくりました。

「てつこさんは頭が良い人だ」と周囲から言われ、
担任教師からは
「(誰もが知ってる会社)に就職しない?あなたの成績なら確実に内定もらえるから」
(映像関係の専門学校に進学する気でいた…)

と、何度も言われた。

中学の時と同様に、担任教師にとって
有名な進学先、就職先に生徒を送り出すという行為は
ステイタスになるのでしょう。

…ここで私は、周囲と同じスタートにようやく立てたと思いました。

あの高校に行くことができてよかったし、
高校進学できたこと自体が奇跡のようなものだな、と
未だに思っている。

結局、周囲と同じスタートには立てていなかった

私は、高校で周囲から評価されたり
自分が努力した分だけ実になっていったことを体験したりで
非常に調子に乗っていました。

努力さえすれば何でもできるじゃん、と。

その勢いで、私はアニメーションの学校に進学を決めました。

そういう学校は、出身地から学力から
様々な人が同級生になります。
とても刺激を受けました。
楽しい時間でした。

この時はまだ、
高校で得た自己肯定感の魔法が、まだ続いていた。

社会に出てから

私は専門学校を卒業し、
広義で言うところの映像業界に就職した。

私を含め3人が新入社員として入社し、
研修や技能テストのようなものを経て
2人はA部署(そのうち1人は幹部候補)、

私はとある作業の能力を買われ先輩が来て欲しいと言ってくれて、
B部署に配属された。

最初はよかったものの、
大人しいというか動きが鈍いというか、そういう私に
先輩が目をつけ…いじめを受けるようになった。

今で言うと、パワハラか。
それがずっと続いた。

本当はそのぐらいでへこたれてたら
やっていけない業界なんだけど、

私は
初めての一人暮らしから来る不安や
(強烈なホームシックになりそれが長期間続いていた)
同期に差をつけられて心が不安定になったことが尾を引いて、

…とうとう、起き上がることができなくなった。
(今思うとたぶんうつ)

私は何も考えられなくなっていたものの、
最後の意思で…「辞めて実家に帰りたい」、と親に告げた。

両親は、

「(せっかく資金援助したのに)勿体ない」

「一人暮らしのまま再就職先を探したら?」

などと言ってきた。
そりゃそうだわな。ごもっとも。

でも、動けないのですぐに再就職は無理だった。
ということは家賃を払えなくなる。
それなのに…

…あれ、
動けないのに働かせようとする親って何なんだろう、と
この辺りで思うようになった。

親の毒が、一部明確になったのがこの時だった。

自力で動けないし感情もはたらかない、という状態で
病院には自分から行ける状態ではなかったのですが、
そうなってまでも
親が私を病院へ連れて行ってくれる、
通院を促す、
ということは一切なかった。

…結局、私は実家に戻ることになった。

その後は…ものすごく端折りますが、
家にいると両親揃って再就職を煽ってくるものの
どうしても動けない時期が半年くらい続いた。

この時期、かなりつらかった。

そんな家にいることのほうがつらいので仕事を探し、
最初アルバイトで後々社員に、という
とある卸業で働くことになった。

で、

その後は

まずはじめに
人間関係がつらくなる

対抗意識を燃やされたり男性社員関連で妬まれたり

結局
会社を辞める

頑張りすぎてパンクするケースがほとんど

そして
また就職する

条件に合う会社は加齢によりだんだん少なくなっていくことを知る

相変わらず
また人間関係がつらくなる

各種ハラスメントで

結局
会社を辞める

これを繰り返すもんだから職務経歴書に書ききれなくなる

…というのを、延々繰り返すようになった。
しかもわりと短いスパンで。

私は、
自己肯定感が低いせいか…仕事で失敗したり
同じ仕事をしている人たちが自分のせいで不快になったりすると
それを異常に気にしてしまう性格をしていて、
仕事すら手につかなくなることもあって…自分でミスを誘発させる。

それが積み重なってパンクして動けなくなっては
会社を辞めて、を繰り返しています。

もしかしたら、
発達障害の特性だったり
精神疾患からくる一種の症状だったりするのかもしれません。

これは、
WOOL-BLANKETという人間の
生い立ちだったり環境だったり
自分の性格、特性が複雑に絡み合って
こういう状態を引き起こした、のだという結論に達しました。


この記事は私のケース、一例です。

子供に悪影響を及ぼす環境からは逃げた方がいい
という考え方は
間違っていないと思うし、

私があの時逃げていなかったとしたら
暴走族に加入していたか(それはそれで興味深い…)
もっと傷が深くなり
今、ここにいるかどうかすら分かりません。

自ら命を絶っていたかもしれない。

ジャーナリング

…人は、弱い。
私だけではなく、ほとんどの人が実はそうなのだと思う。
「不安」という名の
自分の心が生み出す大きな敵と、常に戦うことになる。

結果として、そこにある感情というのは
「自分の心が生み出す」のだから、
自分の心のいなし方を知る、機嫌をとる、という
「方法」を知ることは、
有意義なことだと感じています。

いくらそのことに気をつけていても、
「他人から被害や迷惑を被る」
という現象からは逃げられない。

そういう人は、
家にも会社にもそこら辺の道端にもいるから、
不可抗力で目の当たりにしてしまったりもする。

だから、自分の心をどうにかするのと並行して
「自分の心の声を言語化する」
行為が必要だと、私は考えています。

相手の行為が不当だ、と思った時に
自分の心がどう感じているか、はっきりさせる力とでも言いましょうか。

その練習の一環として
私が最近気になっているのが、

「ジャーナリング」です。

思うままに、決めた時間内は
細かいことは考えずにひたすら文字にする、という行為。

その文面にまとまりがなかったとしても、
心の中を言語化することで
おいおい、自分の心が整頓されていく(かもしれない)。

心の中で思うだけの感情は
すべて流れて行ってしまうけれど、
書き留めておくことで
読み返して整えていくこともできる(かもしれない)。

他には、
目下勉強中ですが個人的に効果を感じている
「認知行動療法」
も、おすすめです。
こっちはちょっと手順があるんだけど、
一度認識すれば
自然とこういう思考が頭の中で出来るようになるんですよね。

不当なことにはきちんと声をあげつつ、
自分由来で発した感情の中で
どうにかできそうな範囲はゆるく整えていく、
というのが
個人的に目指したいところなので、
(きっちりやるといずれ破綻する…というのが私のパターンなので…)

そうして、この色々あるご時世を
のそのそと歩いて行けたらいいなと思っております。