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前回のブログで母のことを書いたのですが、
私は、大人になってから今まで…
母に対して、
色々な対策を講じてきました。
その中でも、特に母は
人の話を理解できなかったり
話を聞いていないことが本当に多いので…
例えば話を簡潔に噛み砕くとか、
私の話に注目してもらうべく
自分なりに話し方を考えたりしたのですが、
ぜーんぜん意味なかったんですよね…
で、それに注力しすぎた私は
どんどん、自分に自信がなくなっていきました。
すべて
「話を聞いてもらえないのは自分が悪いんだ」
…と、
母と意思の疎通が出来ないたびに
自分をずっと、責めてきました。
私の話し方が悪いんだ、
工夫が足りなかった、と。
私が鬱々している原因のひとつとして、
このことも含まれていると思う。
ちなみに現在は
私が若い頃よりもさらに話を聞くことができなくなり、
ストレスの貯金が減らない状態です。
これ日本円に換金したら家買えるぐらいの勢いですよホント。
もしかしたら人によるのかもしれませんが、
私は
「話が通じないこと」を、
大きなストレスとして捉える性質を持っています。
100%解ってくれとは言わないけれど、
大体こういうことを言いたいのね、ぐらいは
相手に伝わってほしい。せめて。
母はまさにそういう感じです。
来日して日本語が少し話せる外国の方のほうが
会話の疎通率が高いかも、というね…地球人であれば何とかなるけれど
宇宙人だとどうにもこうにも、みたいな感覚。
しかも母の出身地の文化でもある、
「曖昧に言葉を濁す」特性も備わっているので
(北国の雪国、日本海側です…)
まあ会話が通じない。
母の場合は、それに加えて
「察してちゃん」要素も強かったりするので
周囲はゲンナリ、疲れてしまうわけです。
正直、私も
もうつかれてしまいました。
これからどうすればいいのか、本当に分かりません。
工夫し続けてきましたが、それも無駄に終わったも等しくて
つい悲観的になってしまいます。
…でも、母の「それ」が
私の望み描く通りになることは決して、ない。
母は、話のできない人なのです。そういう特性なのです。
母本人に、それをストレスと感じ
なんとかしようという気持ちが沸き起こらない限り、
私が「話が通じるようにして!」と訴えても
無理な話、なのですよね。
今の状態としては
「他人を変えるより自分を変える」ことのほうが
手っ取り早いという言い方は悪いけど、
自分が変わっていく状態に気付きやすいのもあるし
加減を反映させやすいのもあるので、
時間の面でも効果の面でも
他人様を変えようとするよりも意味があるのではないか、と思います。
なかなかすぐには効果が現れないかもしれないけれど、
出来なかったことは改善できる点。改善できる点があるということは、良い方向へ進む道しるべはそれだということです。一つずつできなかったことをできることにして、先に進むこと。「できない」が見えているならそれを一個ずつ「できた」にするだけで先に進めます。
— 若林理砂 (@asilliza) 2015, 7月 7
「できない」を「できた」にしていけるよう、
ちょっとずつでも歩みを進めていけたら、と思う。