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こんにちは。
夏バテの余波もあるのでしょうか、
最近とみに不眠だわ起きれないわで
毎日身体に鉛を背負ったような感覚で日々を過ごしているぼんぼやです。
温泉行きたいです。
家事など一切せずぼーっとしていたいです。
今回は、
学生時代の友人について
ちょこっと、自分の思い出を含めて
書き記していきます。
あまりにも長文になってしまったため、
前後編に分けて更新しておりますので、よかったら
後編もあわせて読んでもらえると嬉しいです。
学生時代の友人事情
私は…実のところ、友人に恵まれずに育ちました。
幼稚園、小学校、中学校と
いじめられたりからかわれたりしていました。
友人だった人たちに無視、いじめを受けたこともあります。
(ダメージが強くて一時的に不登校に…)
私が何とか入学できた高校が、
私立の女子校で低偏差値、という
そっちの意味でエリートでございました。
ワケありの子が異様に多くて、おそらく
他の高校に入れない人の受け皿的要素を持つ高校だったのだと思う。
確かに私もワケありのひとりだったな…出席日数や成績を思い返すと
私が入学できる高校ってほぼなかった。
中学時代の担任(若い男性教諭)も、
私の進路先には手を焼いたようです。
勝手な憶測ですが、
たぶん自分の受け持つ生徒が受験で不合格になると
自分の経歴に傷がつくというか何というか、
そういう縛りのようなものがきつかったのかな…と
今になると思う。
私には「入れる高校があるならやり直したい」という気持ちがあって、
その条件の中に
「商業科は嫌だ」「栄養士に興味がある」
などというフィルタをかけて条件検索をしていたため
その私が合格できる高校はあるのか、
…という部分で担任、思い悩んだんでしょうね。
学年主任登場。
知り合いの先生がいる高校があって、
そこは商業科になっちゃうんだけど
その先の進学で栄養学校への推薦枠がある、
途中で希望が変わっても大学短大専門学校も行けるし就職にも有利な高校だし…
などと私に説明を…
今思い起こしても、言いくるめ方が上手い。
学年主任やるだけのことはあるんだなあ…と感心したのち
秒速で我が母校への受験、入学を決めたのでした。
友人との出会い
高校に通うようになり、
クラスメイトと話したりするようになって
どんどん人脈が増えていきました。
疎遠気味の友人もいたりはしますが、
今回の記事では
高3の時に仲良くしていて、卒業後もずっとつるんでいた
友人たち3人について言及していきます。
高校卒業の際に、
「月イチで会おうね」
「旅行にもたくさん行こうね」
…などの公約(?)を掲げて、ずっと交流してきた3人。
(私を含めると4人組になる)
私が勝手に「A(←伏せましたがここに校名が入ります)組」と呼称をつけているので
以後、その呼称で書いていきますね。
月イチで会い、
時には旅行にも行き、
新年会忘年会、各々の誕生日…。
とにかくよく会っていました。
その歴史の中で…私の家が経済破たんを起こしまして。
月イチで会うことは無理、
旅行なんてもってのほか、
…という状況に陥ってしまいました。
でも、A組のみなさまは
「4人で会うこと」にこだわりました。
私が「お金がないから会わない」というと
「奢るからおいでよ」と言われ、
それが嫌で別の理由をつけて断ると
例えば病気ならそれが治った頃にしよう、
別の用事があるならその日を避けて会おう、
という感じで…。
あ、てつこは予定があるのね、
じゃあ3人で会おうか、
というのがない。
「次回ちょっと無理なので3人で会えばいい」と提案しても、
意地でも4人で会う方向に進めようとする。
正直、これがきつかった。
ファミレスのランチとはいえ、その食事代が出せるかどうか分からない。
足りなかったらどうしよう、
その場所に行くまでの交通費が出ない、
…と、いつもヒヤヒヤしていた。
そして…気持ちが
縁切りの方向に進んだきっかけのような出来事が、あった。
友人同士で嘘はいけない、
黙っているのは気が引ける、などの理由で
「…私たち海外旅行に行く予定を立ててるんだけど」
と、どこかに出かけた電車の中で言われた。
その時、私以外に
妊娠している友人がいて、もちろんその人も行けるわけがないし
私もお金がないから行けない。
黙って旅行に行くという方法もあったよね…という思いを脳裏によぎらせつつ、
勿論、お断りさせてもらいました。
そして…数年前、
私がパニック発作のようなものを発症し、
いちおう自律神経失調症という病名がついた。
公共の乗り物に乗ると立ちくらみがしたり、
発作のようなものが出ると全身が震えたり、
うつに似た症状からなのか…希死念慮を抱えるようになり
人にも会えなくなった。人と関わるのがつらかった。
最初は我慢して友人たちと会っていたものの
やっぱり無理だ、となり
「自律神経失調症でしばらく会えない」旨を告げ
私はその「4人組」という縛りから…離脱した。
結論から先に言ってしまうと、
友人の3人中2人が「無理解者」だったため
縁を切ることを決めた、という話だったりします…。
友人の言動
友人Bの話。
会えないと告げて以降
「帰省土産を渡したい」
「近くまできたから」
「親戚が野菜を送ってきたから」
…などと理由をつけて、ちょいちょい
アポなしで私の自宅に来るようになった。手紙付き。
手紙の内容は、Bの仕事上での愚痴が9割だった。
この友人B、以前から
延々と仕事の愚痴を話し私をカウンセラー代わりに利用していたので、
心が正常な時は聞き流すこともできたんだけど
病んだ私には…できるわけもなく。
愚痴れない思いを、手紙にぶつけていたらしい。
私は家族に頼んで玄関先に出てもらったり、
居留守を使ったりした。
最初は手紙の返事を書いたりもしていた。
(病状が理解できていないようなので、その説明も…遠回しに「家に来られると困る」とも書いた)
最終的に
「ハローワークに行く用事があったので、ついでにてつこに向いていそうな仕事をピックアップしてプリントアウトして私に渡しに来た」ので
嗚呼…これたぶん一生理解してもらえないんだわ…と痛感して
交流を断つことを、決めた。
メンタルヘルスを理解できるような価値観というか
捉え方ができない人だということ、
そして
私の病状に最適な言動は何か、ということより
友人自身が親切を押し付けたい、ということを優先させたので…私には、それがつらかった。
何度も来訪されて、
実際に病気が悪化してしまいましてね…。
友人Cも理解が難しい人で、
以前から
恋愛(不倫)や生活がうまくいかないからと
友人の中で私だけに八つ当たりをしてきたり(たぶん本人無意識)、
友人Bと同じように
病状を説明して会えないと告げたのに
様子伺いで「会いませんか?」とメールをよこしてくるような状態で…
ちなみに友人Dは放置してくれておりました。
いちばんありがたかったです。
メンタルをやられると、
返事、判断を求められることが非常につらくなります。
「来ないだろうけど誘ってみよう」とか
「返事は求めてないけど手紙を読んでもらおう」とか、
そういうことにも
返信、返事の必要が出てくる。
経験上、返事を要求する人は
無視することでそれがエスカレートする。
再び、返答を要求してくる。
友人たちも、実際そうでした。
(私にもそういうところがあり気を付けている…)
後編では
友人がそういう行動をとるのはどうしてなのか、
という部分について掘り下げて書いていきたいと思います。
後編はこちら↓↓
学生時代の友人との縁を切った(後編)