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14歳の、WOOL-BLANKETへ。
苦しんでいる、
もう充分頑張っている、あなたへ。
自分のせいだと思わなくていいんだよ
あなたは、自分の受けた加害を
「被害妄想だ」
「いじめられるようなことをするほうが悪い」
「やり返せ」
「(子供が不登校だと恥ずかしいから)学校へ行け」、と
親に罵られたり
「自分のクラスで問題起こしやがって」
「面倒くせえな生徒間で何とかさせるか」
…とばかりに、
たかだか13歳14歳の子供たちに
私の不登校を何とかしようとさせたり、
先延ばしするだけしておいて
「自分では何とかできないから学年主任に丸投げしよ」と
受験のことを人任せにするような担任に囲まれ、
本当にあの場所は地獄でしたね。
いじめられる原因は家庭環境にもあって、
都内で長屋のボロ屋、
汲み取り式トイレの家に住んでいれば
からかいの対象になるのは時間の問題だったし、
親が変わり者で毒親で
近所であれこれ言われてしまうような家庭の育ちなのだから、
それも一因だったのだと思う。
たくさん自分を責めたけど、
ぜんぶ私のせいだと自分を傷つけたけど、
「あなたは悪くない」。
そこから急に高校時代が充実してしまったことで
ちょっと調子に乗ってしまって失敗したね。
「私は何でもできるようになった」とか思い込んじゃって。
自己肯定感が満たされたのはよかったけれど、
自分の力を俯瞰で見る能力がないにもかかわらず進学して。
望んでいた職業に就いたら
先輩にいじめられて、昔を思い出して
またおかしくなって。
幼い頃に苦しい時期が続いたから、
急に楽しい世界になって
楽しく過ごせば、感覚が狂うのは当たり前で
仕方のないことだったと今になると思う。
でも、
自分の軸がしっかりしていれば
ぶれない価値観をちゃんと持っていれば
そこまで辛い目に遭わなかった、とは思う。
これに関しては
方法を早く知ろうとしなかった自分がわるい。
傷ついて、何も考えられない時でも
私が後悔しているのは、
「不登校で家にいる時も何かを続けていればよかった」
…ということ。
勉強なり趣味なり、何かあったはずなのに
私は本当に何もしなかった。
「私はしぬのだから意味がない」と
自分を卑下して、
何もしなかったのに
うっかりここまで生きられてしまった。
ほんの少しでも、何かをしておけば
それは「力」になったのに。
その内容は役立つものじゃなくてもいい、
「自発的に何かをする」ことが大切だったんだ。
すべてのことは二極で片づけられるものではない
あと、
ものごとのすべてはグレーで
グラデーションがあって
白と黒、ふたつだけではないことを
もっと早く知っていればよかったと思う。
・できないことがある→私はもうだめだ、
・失敗した→自分のせいだ(パニック)
…そういう思考になりがちだけど、それだと
あまりにも両極端すぎたよね。
・できないことがある→でも30%ならできる
・失敗した→確かに自分のせいでもあるけど
原因をひも解くと既に失敗しやすい状態のものだった、
自分が100%悪いわけではなかった、
ということもある。
というか人生はそういうことばかりだ。
…と知るのに時間がかかってしまった。
自分が力をつければ、
つらい環境からは脱することができる。
つらさが軽減する。
力をつけるのは
確かに簡単じゃないけど、
眠って起きて、だけだと力はつかない。
それプラス、ほんの少しの「何か」を
「自分から」やることで、
達成感が自分を救ってくれたりもするし
それで誰かが助かることもある。
「力をつける」という行為ひとつで
相乗効果が起こることも、結構ある。
誰かが望む理想の人にならなくていい
負けてもいいし
誰かを恨んでもいいし
愚痴を言ってもいいし
…早い話が、「スマートに生きようとしなくていい」。
もしくは「いい人でいようとしなくていい」。
確かにスマートでいい人って
周囲から人気もあるし、
「あの場所」にいてみたい、という憧れも
ないわけではない。
でも、それが「大きな無理」をして
発信しているものだとしたら…最後はパンクする、と思う。
パンクせずそれをできる能力があるかどうか、
・・・・・・・・・ないよねー(笑)。
やめておこう。
頑張るのはいいけど無理はよくないんだ。
無理すると必ずどこかにガタがきて、
そうなると
それを治す時間が勿体ないし、つらかったり痛かったりするから。
夢や理想は自分を壊さない大きさで
今、理想通りの生き方ができているかというと
実はそうでもない。
今は今で苦しい面もあるし、
大人になったらなったで
あーもーめんどくせーなー、みたいなことはたくさんある。
持病と加齢で体が思うように動かないし、
なかなかに億劫で難儀だったりもする。
…身も蓋もないことを言うと、
苦しい時期とそうでもない時期、楽しい時期などを
グラフが上下するかのように繰り返していく、
それが人生なのだと思う。
だから、いつ不調の時期がくるかもわからないし、
好調な時期が続く人もいるし、続かない人もいるし、
本当にタイミングとか環境とか時代背景とか
そういうことで、日々の変動が起こる。
でも、
自分がされて嫌なことを他人にしないとか、
差別や加害をしない、というような
基本的に生きていく上で必要なもの、
自分なりの最低限の美学みたいなものは、
生きてるだけでも何となく分かってくるし
実践もできてくる。
大人って残念なひとばかり
大人になって残念だなあ、と感じるのが
「自分と他人を常にジャッジしてマウントする人」
「自分の大切な人を値踏みし続ける人」
自分はこの人より上か下か、
自分のパートナーは他人のパートナーよりも素敵かどうか、
あいつのほうがいい思いをしているからずるい、
あの人は出来が悪いから5点だな、
…ようは自分にとって本当に必要なものが何かを知らない、
他人ばかり見ている人。
そりゃもちろん他人が気になることもあるだろうけど、
私なら
自分のことを知りもしない人に点数つけられたり
ジャッジされたり値踏みされたら
たまったもんじゃない。
知るかよそんなん、とは思いつつ
あからさまにそうされたら不快にもなるし傷つく。
やることなすこと他人にばかり影響されて、
何なら真似しながら生きるのは、個人的にはあまりお勧めしない。
これだけ生きてきて思ったのは、
- 自分がどうしたいのかを常に考える
(自分の行動なのだから他者ありきにしない) - パニックを起こさない
(混乱している時は判断が狂うことが多く、その尻拭いが後々大変になることも) - 積極的に自分の機嫌をとる、いたわる
(世の中には不機嫌のもとがたくさん転がっているから、生きているだけで自然と不機嫌の方向に行きがちになる) - 他人に自分の機嫌を直してもらう、という気持ちをもたない
(だいたい期待は外れるもので…) - 自分がされて嫌なことは他人にしない
…ということ。
わりとシンプルなんだけど、これが結構難しい。
でも引き続きやっていこうと思う。
14歳のWOOL-BLANKETへ
14歳のWOOL-BLANKETへ、
私はこんな感じに育ちました。
理想通りではなかったし、
もっと恋愛とかしたかったし、
何なら結婚出産もしてみたかったね。
でも、タイミングが悪くてどうしてもできなかった。
結局「それはしないほうがいい」という結論に至った。
ごめんね。
父も母も、というか人は
基本的には変わらないんだ。
よっぽど頑張れば変わるのだろうけど。
生活の忙しさに流されて、変われない人のほうが多いのだと思う。
両親は変わらず、
私も変われず、
自分の理想にならないことのほうが多い、この社会で
さてどう生きていこうか、と思えているのは
間違いなくあなたが苦しみ、呻き、頑張った結果だよ。
それがなければ、
もっともっともっとクズだったのかもしれない。
そうして生きてきてくれて、ありがとう。
こうして好き勝手に文章が書けているのは、
あなたのおかげです。
あなたが様々なヘンテコな人と出会ってくれたから、
ネタには尽きることがないと思う。
ずっとずっと、私の味方でいてくれてありがとう。
私も、14歳のあなたの味方です。
だから、
絶望の淵にしがみついてでも生きてほしい。
自分次第でどうにかなっていくから、
なるようになっていくから、
どうかどうか、あきらめないでほしい。