貧困と教育と私

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こんにちは。ぼんぼやてつこです。

以前から梅雨明けの少し前になると、
豪雨で何らかの被害が出るようになりましたね…なんだこの気候…。

被害に遭った皆様には、心よりお見舞い申し上げます。

私も迷惑のない範囲で、
お手伝いできたらと考えています。

大変な時期が続くとは思いますが、どうかご自愛いただけたら…。

連日の気候とは一切関係のない内容を
いきなりぶっ込んでしまい恐縮ですが、
どうしても気になったので書かせてくれるとありがたいです。

とあるツイートから

親の年収と子供の学力、についてのツイートです。

そうなのよ親の収入って
子供の人生にダイレクトに響くのよね、
と頷きながらリンク先の記事を読ませていただきました。

なぜこのようなことをエラそうに言えるのかというと、
私自身が当事者だから、です。

低所得層がたくさん住む地域で学生時代を過ごし、
言うまでもなく低所得層の家庭で育ちました。

親の収入と子供の教育、相関性がありすぎて泣ける…
私は学生時代に下町のはじっこに住んでいたので、
低所得、多子、父子母子家庭、という子供が多い学校に通っていた。
親の収入がダイレクトに成績や校内外での素行に反映し、その差は顕著だった。

私の両親は中卒で集団就職した世代で、
家系をさかのぼってみても
「勉強(学歴)より労働力優先」
「子供は早く社会人になって稼いで家計の足しにしろ」
という家の出身。
なので私は受験の時に随分と苦労した。
先生に受験のことを質問しようにも、何が分からないのかが分からなかった

親が何も教えてくれないという環境から何とか自力で知識を得ても、
得た時には既に同年代の人たちはもっと先を走っている。
追いつくには血の滲むような努力が要る。
低所得低学歴が当たり前の環境で生きてきた人が平均値を目指そうとすると、
大きなハンデを抱えた状態で苦労しながら生きることになる

ハンデを抱えた状態で生き続けて他の人より出来ないことや諦めることがあった時、
「環境は選べない努力しろ」
「それは自分が努力したくないが為の甘え」
、というようなことを言われたりもしたけれど…これを
「100%本人が原因」と言えちゃうのはそういう環境を知らないからなのだよね

もし私が衣食住の環境が整った、もしくは
学がそこそこある親から産まれたのなら…
スタートがこんなに後ろじゃなくてよかった、
ハンデを抱えたまま他の人はしていない苦労をするために時間を割かなくてもよかった、
その費やした時間を別件で有効に使いたかった、

…と思ったことは一度や二度ではない

というツイートを以前連投したのですが(現在は削除)、

上記の通り…低所得層出身の人間が
高みまでは望まないにしても、平均値を目指すにしても
それがものすごく大変なことで、
努力すればどうにかなるようなレベルのものではない、ということです。

成し遂げる知識がない、
知識を得るための学習能力がそもそもない。
だから丸投げもしやすくなる。

そういう状態の人間が
「勉強のしかた」を覚えるところからのスタートなので
…まぁ…元々頭の回転が早い資質でも持っていない限り
平均値にたどり着けぬまま寿命が尽きる気がします…

「勉強できないのなら職種を選べば充分生きていけるでしょ」、
なんて声も聞かれます。

確かにそれも事実で、
上昇志向をエグいくらいに出さないとか
夢を見すぎないのであれば
充分生きていけるでしょう。

私が言いたいのは、そういうことではなく

親がそれをさも当たり前のように子供に連鎖させるんじゃねえよ、と言いたいんです。

一部のそういう、学歴を気にしない親は
子供の学歴なんてどうでもいいかもしれないけれど、
親の意思で産むことを決めた上で世に出てきた子供たちなのだから

せめて最低限、
2017年現在の社会に出て行って困らないように
子供と一緒に考える、
親の時代に当然とされていた価値観をアップデートする、

そういうことはできないのだろうか、と思う。

…そういう風に考えることがない親自身も、
実は被害者だったりするんだよね。

仕事内容が
どんなに肉体だけを使う労働だったとしても、
実は仕事をするのは「体」ではなく、
体に指示を出したり感情を抑えたり
休息したり律したりというのをコントロールする「頭」だ。

それを活かすためには
最低限の学力が必要だと私は思っている。


…私は、それができない人間です。
仕事の上で自分をコントロールできない。

仕事が多ければ残業しまくって休まずに働く、
他の従業員が困っていればその手伝いをする、
感情をうまく表現できない、

…ということを繰り返して心身を壊してしまった。

そして何年も、
壊れた時の後遺症が残っているというか
寛解の様子がないというか、
ずっとずっと
得も言われぬ満身創痍の状態で
生きているんだかいないんだか分からない日々を過ごしている。

他の方には
私のように、なって欲しくない。

私の言う学力は
勉強内容を覚えているかどうか、
高い学歴を持っているか、ということではなく

自分の目の前にある何かに対する
取り組み方やペース配分のことを指しています。

これは、学生時代に勉強を通して学べたものだと痛感している。

社会に出てからも充分勉強はできるし、
げんに私も
一応は資格のようなものを取得したりもしている。
行ける大学もあるにはある。

でも
人生や時間は有限で、
これ10代の時に理解できてたら人生変わっていたのかな…
頭がわるいなりにみんなと同じスピードに乗っかることができていたのかな…

と、
思いを馳せることはあります。
どちらにせよ、なるようにしかならなかったんだろうけど。

私の親は、貧困連鎖の被害者だった。

私も被害者…なんだけど、
連鎖を食い止めるべく努力は…続けていきたいと思う。
できないけれど、できないなりに。

連鎖だから仕方ないじゃん、
この底辺で楽に生きていこうよ、と
開き直ることで楽になるのかもしれないけれど…。

開き直ったところで自分の能力が上がるわけではない。

ただ楽になるだけ。それだけ。

私が強欲なだけかもしれませんが
こんな人間がひとりぐらいいてもいいのかな、と思います。

その人にとってしっくりくれば、
正解と感じることができれば、それでいいのだと思う。

読んでいただいた方、もしおられるようでしたら
ありがとうございました。

先日は簿記3級を受験して合格できました…