学校に行きたくない、と思っていた当事者の後悔

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こんにちは。WOOL-BLANKETです。

この時期になると、毎年思い出します。
毎年。

「学校に行きたくない」という感情を抱えて
とても嫌な気持ち、
落ち込んだ気持ちになっていた自分のことを。

withnews.jp

私は学校で加害されていた

私は基本的に「いじめられっ子」で、
幼稚園の頃から
何かといじめられたり、からかわれたりしていました。

幼稚園も、小学校も
そして中学校も。

他のクラスメイトよりも
出席日数が常に少ない人間だった。

ちなみに、
幼稚園や学校へ行きたくない時期は
必ず体調がよくなかった。
体と心と、どちらが先行だったのか分からないけれど。

他の人からの加害と同時に
体調不良が私を襲った。

いじめではないかもしれないけれど、加害は加害

私の場合、
ボコられるとかパシリにされるとか、
そういう
絵に描いたような「いじめ」を
あからさまに受けたわけではなかったのですが、

特に中学生の頃がひどかったというか
えらく傷ついたと感じることが多かった。

具体的には、
以下のようなことの繰り返しがダメージとなりました。

不登校の要因(抜粋)
  • 小学校時代からの友人→手のひら返し→集団での無視
  • 部活(バスケ…)内で私だけにボールを回さない、ボールをぶつけてくる、無理やり奪おうとする、等
  • 私の姿を見ただけで嘲笑しながら集団で走り去る
  • 遠くから聞こえるように悪口を言う
  • 修学旅行等、要グループ行動の際に「一緒に来ないで」と言われる

細かく書くと
私自身、まだ向き合いきれていなくて
具合がわるくなってしまうので
この辺りにしておこうと思います…もう30年はゆうに過ぎた話なんですけどね…未だにこうなっちゃうんですよ…。

担任がクズでした

中学の頃の担任教師が若い男性教諭で、

生徒の将来よりも
体裁、
職員室での評価、
そういうものを重視していた。ように私には見えた。

成績の良い人間には最上級の愛想の良さで接し、
私のような底辺層の生徒には
なるべく近付かないように、
距離を置いて接していた。

可愛い女子生徒にもいい顔をしていた記憶がある。

私は
行けたり行けなかったり、
週に3日ほど
何とか登校するタイプの不登校だった。

母が妙に世間体を気にする人間で、
私が「いじめられた、行きたくない」と
理由を述べているにもかかわらず

「いじめられる方が悪い」

「いじめられないよう自分から仲良くしろ」

「仮病だろう」

しか言わなかった。それのみ。

朝は毎日、
玄関先に通学カバンを放り投げられ追い出された。

学校や関係機関への相談は一切せず、
「腹痛で休む」という理由ひとつで
何とかコトを収束させようとしていた。

最終的に、
私が分かりやすい狂い方をしたので
ようやくヤバいと思ったらしく

学校に電話して電話口にたまたま出た教頭先生に、
諦めて本当のことを伝えていた。

おそらく、担任も母も同じタイプで

「臭いものにはフタをしてなかったことにする」

「自分にとって害悪なものは視界に入れない」

「喉元過ぎて何とかなってくれないかな」

…とか、
そういう特性を持つ人間だったのだろうなと思う。

私から担任には
いじめを訴える気すら起きなかった。
何も変わらない、と分かっていたから。

でも、後悔をしている。

他にも方法はあったかもしれないのだから。

あきらめてしまった私の負けだった。
勝てばいいってものでもないけれど。

結果

ここからのことを書くと
ものすごい文字数になるので、
時系列でさくっと書いていこうと思う。

ここが最初
母、学校に娘のいじめ被害を報告
何を思ったのか
その報告を受けた担任、女子だけを放課後集める
生徒を利用して
担任の指示で同級生(女子)から私に電話が
その同級生もいい迷惑だろうに
私、詳細を聞かれる
結局は
電話口の同級生「私たち、そんなつもりないから」

最近よくある、炎上元が謝る時のやつ~!

忘れた頃に
数カ月後、同級生(女子)ほぼ全員から年賀状が届く

まあたぶん担任が「自分たちで考えてごらん」的に促したのだと思われる

いろいろすごい(笑)

これが、数十年前の中学校で
実際に行われた「教育」です。

余談ですが、
いじめ加害主犯の年賀状の内容を公開しますね。
(主犯→前述の「小学校時代の友人」)

「ネクラ(今で言うコミュ障みたいな)はダメだよ!」

「もっと明るくね!」

「自分から仲良くしないとダメだよ!」

…以上です。
まあ殺意わきましたよね(笑)。

担任は自分の言葉で何とかせず、
生徒を利用してどうにかしようとした。

女子生徒に電話をかけさせ、
ハガキ代を出させ年賀状を書かせた。

この担任の「善意の勘違い」があったことで、
善意は加害にもなり得る」と知った。

そんな私ではありますが何とかいきています

私は、低所得の家庭に生まれ育ったことや
「別の道」の選択肢がないに等しかったこともあり

現状のまま、今の中学に通いながら
何とかしていくしかなかった。

私の中学生だった頃は、
簡単に転校もさせてもらえなかった。

結局は

受験シーズンになり
希望の進学先(具体的な学校名など)の提出期限を知らなかった私

休み休み通学していたから、期限日を誰も教えてくれず…泣
担任に用紙提出を促された時に「まだ決まっていない」と告げたら驚かれた

慌てた担任、上司にヘルプを求める
授業中、職員室に呼び出される

職員室に入ったら学年主任の先生が待ち構えていた、それと担任

学年主任教諭に
「興味があることはあるか」「何かなりたい職業はあるか」と聞かれる

そういえば…担任にこんなこと聞かれなかった気がする

何気なく学年主任に返答
私「調理とか栄養とか…」
担任「知らなかった…」

せやろな

学年主任、ごそごそと
パンフレットを持ってくる

とある女子高校のパンフレットだった(商業科)

調理や栄養の学科は成績が足りない、職業科は嫌だ、と思っていたものの
学年主任「この学校はどうだ、ここ卒業して栄養学校いったOGがいるって(パンフに書いてある)」
私「確かに」

私の心はこの時点で決まっていた

ワイ即答
私「この高校を受験したいです、単願ってまだできますか」

担任「じゃあ親御さんと相談…」
私「しなくて大丈夫です(親に言ったところでよく分かってねえから)」
先生方「え!大丈夫なのか…親御さんと電話してもいいんだぞ…(おろおろ)」
私「大丈夫っす」
学年主任「この高校には知り合いの先生がいる、後で電話しておくから」

…というやりとりがあった

…という、
もはや運でしかないようなタイミングで
私は中学校という場所、
迫害してくる同級生から逃れることができた。

「学校が変わること」は、
ギャンブルみたいなもんだけど
淀んでいた自分に風穴が開くような感覚は得やすいと思う。

どちらにせよ、変化のチャンスではある。

経験上、感じたのは
「アテにならない大人と関わるのは時間のムダ」
ということです。

私は周囲が
アテにならない大人ばかりだったので、
随分と時間を無駄にしてしまったと感じている。

その間に一気に時が流れて行ってしまった。

…最善を、尽くせなかった。

ただ、アテにならない大人だけではなくて
アテになる大人もどこかに必ずいるんです。

それも体験して分かったことです。

元気のなくなっている時に
元気な時のようになど振る舞わなくていい。
強くなろうとしなくてもいい。

いじめた相手を許す必要なんてない。

許さずにいながら楽しく生きることは全然できるから。
周囲は「許すことが自分のためになる」とか言ってくるかもしれないけれど
自分のことなど他人に分かるわけがないのだから、
鵜呑みにする必要はない。

大人になると分かるけど、
もっともらしいことを言ってるようで
矛盾していたり、筋の通らないことを言い出す人も多い。

そういうおかしい人よりも
被害者の心で鳴っている警報のほうが確かだ。

大人の言うこと=正しい、
というのは絶対にない

大人も間違うことはある。

私の母と、担任のやり方は
私にとって「間違い」だったように。

今思い返しても
あれじゃ余計に子供は学校行かなくなるね…笑

頼るのはよくない、とか
自分で何とかしろ、とか
そう言ってくる人も必ず出てくる。

でも、
成長途中の10代という存在に
「頼るな」「自分でやれ」はあまりにも酷だ。

これから大人になるにつれて知ってはいくだろうけど、
「今は知らない」のだから
頼るのは当然のことで、

大人も「頼られる」ことは想定しておいたほうがいい。

もし、大人に頼った時に
理由もなく否定されたり、頭ごなしに断られた時は
「こいつ私のこと面倒だと思ってるな」と思ってもらっていい。

ハズレを引いただけ、くらいの気持ちでいてもらっていい。

この大人に固執することなく、
他の大人をさっさと探したほうがいい。
自分のその時の精神状態と相手のテンションが大きく違うこともあるから、
その場合も同じ対応でいいと思う。

大人も色々事情があって、
今は自分の困りごとで手一杯ということもある。

だから
頼ったら100%思い通りになる、
とはいかないかもしれないけれど

相手の理由があって頼りにできなかったそういう時は、
他の大人を探してみて欲しい。

それができたら苦労しない、という声もあるのだと思う。
難しいことだったりもする。

しかも
私の場合は運のよさで他の大人が登場したから、
偉そうなことは言えない。
担任が丸投げしたことが、ある意味正解だった。

ただ私は
相当回り道をした末に運の良さ炸裂だったので、
もっと早く
他の大人を探せばよかったという後悔がある。

それを、ここに書いておきたかった。

学校に行きたくなかった私から、昔の私へ

ということで

14歳のWOOL-BLANKETへ

、というブログを
別に書いてみました。

興味がある方は、よかったら。ぜひぜひ。

あまりにも長くなってしまったので
二部構成(?)にしてみました…。

当時は本当に「ここは地獄」だと思って
過ごしていました。

だから、簡単に
「あと数年我慢しろ」とか
「そんな人もいるから気にするな」とか、
そういうことは言いたくない。

つらい、という気持ちは誰にも分らないのだから。

近い経験をした私ですら、
思いをくみ取ることはできるけれど
完全に理解できるかというと、むずかしい。

私にとっては平気なことも、
他の誰かにとってはしにたいほど苦痛なのかもしれないし。
簡単に分かったような顔をするべきではない、と思っている。

ただ、私が体験した
「つらい」「しにたい」「くるしい」が、
何かの形で誰かのヒントになったらいいな、などと
おこがましいことを考えていたりするので
この記事を書かせてもらいました。

相変わらずの長文おばさんが炸裂してしまいましたが、
お読みいただきありがとうございました。